2007年01月06日

【旅行作家】になるために vol.6

「好き」を仕事に。その一念で、金融の世界から旅行業に転身。天職にめぐりあうまでは、苦悩の日々でした。


旅行会社時代、諸先輩の口から出た言葉に、「『旅』が好きなだけでは、この仕事はやっていけない。ひとが好き、ひととの出会いに悦びを感じられることが、旅の仕事の向き不向きを決定する。。。」
含蓄あるでしょ、「まさに、その通り!」だと、私は思うのです。

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**仕事の面白さに目覚めることがなかった銀行員時代。休暇ともなるとスキーやテニスをしに、近県を旅していた。

tennischuo.jpg富士銀行が三ヵ年計画で発足させた【富士ファインレディ】は、従来の得意先係(渉外)を専門部隊化したもので、私はその一期生として入行。

男女雇用機会均等法の施行をうけ、大卒男子と同等の給与体系を条件にしているのが特長で、6ヵ月間に及ぶコンサルティングのための集合研修を経てのち、各支店に配属。得意先の担当にあたりました。

1988年、時代はまさにバブルの絶頂期。八重洲口支店に配属となった私は、得意先の代表者や役員の、個人資産の運用をお手伝いするのが主たる仕事。行員でなければお目にかかることもなかろう、立派な経営者の方々を間近でお世話できたことは、我が人生において、とても幸運なことでした。

とはいえ、極端な男性社会の時代。得意先の経理担当者らから、「新人の女性行員に、企業の大切な預貸金の話はできぬ」と、担当を男性行員にもどすよう依頼があるなど、制度のひとり歩きが問題化しました。

結局、富士ファインレディは、3ヵ年を待たずして解散に。離職率の高さが、この制度に、失敗という烙印を押したのです。

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富士銀行を去り、シティバンクに転職をしたものの、「果たして自分の本当にやりたい仕事は何なのだろう」と、自問自答の日々が続きました。そうしたところにJTBが、初の大卒社会人対象・中途採用試験を実施すると、新聞紙上で、募集告知をはなったのです。

**JTBでは、希望の営業職につき、団体旅行を担当。添乗も頻繁だった。カナダのアラバスカ大氷河で。ウイスキーとコップを用意して、氷河でオンザロック!旅の演出は、本当に面白い!!(右端が私。。)

水を得た魚のように、仕事に邁進したJTB時代。完全燃焼の20代後半でした。


そして。。本当に、人生とは面白いもの。
ときの人事部長で、面接に立ち会われた末宗直人氏(のちの専務取締役)は、現在、たずさわっておりますNPO法人【交流・暮らしネット】を創設された方です。すべての経験や出会いが、まるで、あざなえる縄のように、今に繋がっています。


■バックナンバー【旅行作家】になるために
ラベル:旅行作家
posted by 千葉千枝子 at 00:28| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行作家・観光ジャーナリスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする