旅行業界、メディア業界、そして学者の諸先生方と、交流する世界は広がりを増しています。とはいえ、それぞれに観光への見方・捉え方が違うことを、近ごろまざまざと実感させられます。そうしたなかで、「自分目線」を大切に、自信をもって情報発信をしていこうと、思いをあらたにした今回の信州旅。今日は、「栗と北斎と花のまち」長野県上高井郡にある小布施(おぶせ)町を紹介します。
学生時代に居候した菅平のペンションで、お世話になったオーナー夫婦に連れられて、雪降るなか栗おこわを食べに行ったのは、かれこれ20年以上前のこと。山波が色づく小布施の町には、美しさと優しさ、そして逞しさがありました。人口1万2千人の町に、年間の来客者数は、なんと120万人。その魅力とは…。
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花の生産基地【おぶせフラワーセンター】「農業は、"強く、優しく、面白く"」を合言葉に、第一次産業(農業)×第二次産業(加工)×第三次産業(サービス)=「第六次産業のまちづくり」を推進する小布施町。「六次産業センター」の会議室で行われた関さんのガイダンスには、住民参加型の町おこしと素晴らしいリーダーの存在が、北国限界集落の復古に欠かせなかったことを印象づけます。
**花卉だけでなく野菜・穀物など一次産品が即売されています花の情報発信基地【
フローラルガーデンおぶせ】とともに、このフラワーセンター内には、お洒落なレストラン「OBUSE花屋」もあります。そして花を通じた交流【オープンガーデン】(自宅の庭を"来訪者"にも鑑賞いただこうとする取り組み)も、素晴らしい景観を生み出しています。
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【小布施町並修景(まちなみ・しゅうけい)事業】補助金に一切頼らず、住民らの叡智と努力で進められた「小布施町並修景事業」。町屋づくりの旧家は国道沿いで住みづらいと、後継ぎは都会へ出てしまい、景観も損なわれ始めた昭和40年代初頭。ときの町長・市村郁夫氏(故人)が行った住民のための数々の施策とその精神は、二代目良三氏に引き継がれ、今に至ります。「点ではなく、面で開発しよう」。景観保存の町並みづくりが、官民一体でなされた結果、多くの"来訪者"を呼ぶことになりました。
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【北斎館】と高井鴻山(たかい・こうざん)・小布施【オープンガーデン】のしくみ江戸末期、須坂藩の御用達商人だった高井鴻山をパトロンに、葛飾北斎はここ小布施で、晩年、筆をふるいました。その北斎の遺作を集めた美術館
【北斎館】創設も、郁夫氏が手がけました。貴重な作品の門外流出を避けるためでもありました。
秀逸な作品が多く展示されている【北斎館】の周辺広場は、ひときわ来訪者が多く、私も栗アイスを食べながら、小径を散策。
一民家も、町の景観のひとつです。
蔵をセットバックして、国道沿いには広場やお洒落なレストランが軒を連ね、小径も綺麗に整備された小布施の町。瓦や土・壁、そして生垣を活かしたトータルの町並みづくりに、観光業者にはない"目線"を感じます。例えば、蔵を活かした4室限定のホテルなど…。お馴染み小布施堂本店や、モンブランケーキのお店、造り酒屋の数々と、徒歩で訪ね歩きました。
**小径の先、オープンガーデンを抜けようと通りがかったお宅のお庭で、偶然お会いした現町長の良三氏。確かに「市村」の表札が。。真っ赤な紅葉がたくさん落ちていて、庭掃除中だったとか。
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六斎市と【小布施堂】本店ちなみに
高井鴻山記念館は、皇太子ご夫妻行幸の折り、雅子様がとりわけ関心をお寄せになったと聞きます。今回は時間もなく拝観できず残念でした。
小布施は江戸時代、【六斎市(ろくさいいち)】という市が開かれ、交易の場でした。
千曲川と松川の合流地点、肥沃な扇状地に栗栽培が行われ始めたのは、室町時代にさかのぼります。のちに将軍の献上品として、小布施栗は全国にその名を知らしめました。
【小布施堂】本店で、栗羊羹などを購入。お食事もできます。
■■小布施町の総合サイトは、
http://www.town.obuse.nagano.jp/
posted by 千葉千枝子 at 23:01| 東京 ☔|
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