東日本大震災から丸一日経ちましたが、実は、誰一人として東北に暮らす親族とは未だ連絡がとれておりません。朝を迎え、被害の状況が少しずつ明らかになりました。東京は穏やかな天気というのに、被害のごく一部を遠く東京で観て知るだけです。私が生まれた産院も控えた釜石の海沿いが津波に流されるニュース映像には、涙がどうにも止まりませんでした。

30歳まで自身が本籍を置いておりました陸前高田は、「ほぼ壊滅」と伝わります。毎夏、楽しんだ高田松原には、かつての津波の教訓から高い高い堤防が築かれておりましたのに。祝いの宴を催した民宿や、夏の花火を楽しんだホテルも、病院も役場も駅までもが、全てが流されてしまったようです。寒いでしょうに。釜石や陸前高田、そして気仙地方の皆さん、どうぞ、ご無事で…。