実は、東日本大震災で命を落とした祖父らの三回忌法要の席、施主を務めた従弟から「千枝子さん、もう、あの映画観ましたか?」と聞かれ、ずっと気になっていました。震災から9日目の夜、生存を信じて車で東京を出た父らを追って、JALの被災地臨時便を従弟と二人でおさえ、翌早朝、飛び乗りました。しかし願いも叶わず悲報に触れ、向かった先こそ廃校となった小佐野地区の、冷たく暗い学校体育館でした。遺体安置所です。以前、夕刊紙に綴ったので、ご記憶の方もおられましょう。あの日も小雪が舞っていました。

この映画、観たくない、思い出したくない気持ちもどこかにあって、今日まできてしまっていたのです。
続きを読む