知覧をあとにして、鹿児島市内へと向かうと、それまでの天気が急変して雨が降り始めました。レンタカーを返却して、鹿児島中央駅から九州新幹線さくらに飛び乗り、熊本駅を目指します。
熊本地震(2016年)の2年後、2018年に訪ねたときに小口でしたが復興城主となりました。そのとき以来の熊本です。
北上すると雨も止んで、熊本は少し肌寒さを感じます。今回は、知人の勧めがあって水前寺公園近くの【松屋別館】さんにお世話になりました。
和風なネーミングながらも、いざ客室はスタイリッシュな内装です。和洋室でお願いしました。サウナ付き大浴場があり、居心地のよいお宿です。朝食も充実していてコスパのよさを感じました。チェーン系のビジネスホテルにせず正解でした。
▼旅館のようなホテル【松屋別館】
続きを読む
2022年03月04日
特攻のまち知覧へ【知覧特攻平和会館】を訪ねて(2日目)
指宿いわさきホテルで朝食をいただいたのち、車で30分ほどで特攻のまち知覧に到着しました。近づくと沿道には石灯篭が並びはじめ、その先に
【知覧特攻平和会館】があります。太平洋戦争末期の沖縄戦において日本軍は、「特攻」という人類史上類のない悲惨な攻撃が繰り広げられた ことを皆さんは歴史の教科書でご存じでしょう。その隊員たちが飛び立った場所が知覧(ちらん)であることを知る若い人は、今は少なくなりました。到着後すぐに、語り部による講話が視聴覚室で行われるというので飛び込みました。
語り部の方は、母親がかつて「なでしこ隊」で特攻隊員と交流があったといいます。スクリーンいっぱいに映し出された若者たち。彼らを桜の枝で見送るなでしこ隊の女学生らの話や隊員らから「おかあさん」と慕われた富屋食堂の鳥Mトメさんの話を伺うにつれ、自然と涙が溢れでました。
続きを読む
【知覧特攻平和会館】があります。太平洋戦争末期の沖縄戦において日本軍は、「特攻」という人類史上類のない悲惨な攻撃が繰り広げられた ことを皆さんは歴史の教科書でご存じでしょう。その隊員たちが飛び立った場所が知覧(ちらん)であることを知る若い人は、今は少なくなりました。到着後すぐに、語り部による講話が視聴覚室で行われるというので飛び込みました。
語り部の方は、母親がかつて「なでしこ隊」で特攻隊員と交流があったといいます。スクリーンいっぱいに映し出された若者たち。彼らを桜の枝で見送るなでしこ隊の女学生らの話や隊員らから「おかあさん」と慕われた富屋食堂の鳥Mトメさんの話を伺うにつれ、自然と涙が溢れでました。
続きを読む