2008年06月15日

【天津神明宮】【日蓮寺】【妙蓮寺】

【岩手・宮城内陸地震】被災の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
一関をはじめ、岩手・宮城両県には、親戚縁者が多く暮らしております地域だけに、心痛なおもいで報道を見入りました。一関市内で学校教諭をしております従兄に、安否の確認メールをもらいましたが、その最中にも、「あ、また余震です!」とありました。しばらくは予断が許せぬ状況でしょうが、みなさん、どうぞお大事になさってください。


南房総・鴨川市天津小湊での二日目は、鯛のまち ボランティアガイド協会会長・石井敏さんのご案内で、天津と小湊の社寺仏閣を巡りました。
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<私と同じ、元バンカーの石井さん。安房の地で、心のこもるガイディングを受けました>

各自治体では、近ごろシニアを中心とした"ボランティアガイド"が続々と誕生していますが、石井さんのお話によりますと、一足先に民間ボランティアの組織作りで成功した群馬県太田市の取り組みを参考に、教えを乞いながら、開設準備を進めたのだそう。
かつて、旅行会社勤務時代、観光バス3台口、6台口…といった大型団体を率いて訪ねた房総の地。その当時のバスガイドさんのご説明と比較をするのはナンセンスかもしれませんが、歴史的観点や地場の特徴など、豊富な人生経験に裏打ちされたお話が聞けたことに、感銘を受けました。

■鴨川市天津小湊【ボランティアガイド協会】の公式ホームページは、こちら
**鴨川市内浦405-16(商工会館内) TEL 04-7099-6133
ガイド料は無料(1週間前までに要予約)、ガイド&予約時間は10〜16時


房州 伊勢の宮【天津神明宮】(神明神社)
JR外房線・安房天津駅近く、小湊駅からもタクシーで5分の距離。房州の"伊勢"と呼ばれ崇められてきた神明(しんめい)神社は、さかのぼること1180年、源頼朝が房州に逃れてきたおり、のちの宇治川の戦いで反撃に出るための戦勝祈願に立ち寄った、由緒あるお宮。1186年、このお宮に、伊勢から神霊を賜ったのが伊勢の宮の由来です。
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宮司の岡野哲郎さんは、NHK「鶴瓶の家族に乾杯」でお茶の間を沸かせたこともある、明るい宮司さん。「ふたつのお守り、違いがわかりますか?」と尋ねられました。コレ、"運気向上守"と言いまして、日の出の位置が違うのね。私は、おひさま50%(左)を買いましたが、ひとによっては70〜80%の出(右のお守り)を選ぶのだとか。「まだまだ、陽を昇らせますよ〜!」by千枝子。

岩高山 日蓮寺(がんこうざん・にちれんじ)
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大戦中、海の特攻隊"震洋(しんよう)"の基地があったという天津小湊地区には、岩窟がいくつもあります。岩山なのですが、風化でなく人が掘った穴というから驚きます。

日蓮聖人の出身地でもある安房の地ですが、偉大になるにつれ、他宗信者の改宗などで恨みを買うこともあったといいます。襲撃にあい、眉間に傷を負った日蓮が、1264年、この岩高山に逃れ、出会った老婆にわた帽子を被せられたことから、のちに「綿帽子の祖師」といわれるようになりました。苔むし、緑深き石段を上がった先に、ひっそり佇むお寺です。詳しくは、こちらを。

両親閣【妙蓮寺】
「孝と申すは高なり、天高けれども孝よりは高からず」。親孝行で知られる日蓮聖人は、我が父と母を、この【妙蓮寺(みょうれんじ)】御厨(みくりや)に眠らせました。「両親閣」と呼ばれるお堂を内部参詣しました。
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倒れ息絶えた実の母を、手厚い祈念で蘇生させたといういわれがあることから、蘇生の祈願所としても知られています。**画像右は、日蓮聖人のご尊父(右)、ご母堂(左)の墓石。

posted by 千葉千枝子 at 00:00| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の名所・旧跡・お城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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