2006年05月12日

車を所有する哲学

mycar.jpg理由(ワケ)あって、しばらく車のない生活でした。
この十数年間、車生活という甘い暮らしに浸り、いざ手放した途端、電車に乗るのにリハビリが必要だったほど中毒していたことに気づかされました。

都会では、タクシーや電車での移動のほうが、はるかに効率的です。以前契約していた自宅マンション半地下の駐車場は、月極めで5万円別(契約当初は、バブル期の相場が続いていましたから、もっと高かったの)。銀座や青山ほどではないものの、土地を占有する値段の違い、地域格差は相当なものです。なぜなら、実家がある練馬(の埼玉県寄り)では、1万円台が当時の相場だったから。同じ都内でも相当な格差があるということ。宅地の価額に素直に比例しない点にも、日本経済の歪みを感じていました。


ginza.jpg二極化が進みはじめた二年前、事情があって車を手放すことになりました。とはいえ、タクシーを頻繁に利用しても、月の交通費は駐車場代を上回るほどにいたりません。恵まれた場所柄と一蹴されればそれまでですが、それほどに車の維持にはお金がかかるという証拠。果たして、この金食い虫を所有することに、どんな意義があるのか。車を手放してからの二年間、トボトボとバス停に向かう道すがら考え悩む日々でした。


benz.jpg「車の所有には、それなりに哲学がある」と、私は結論づけました。普段の生活の足として使用するのはもちろんのこと、こと利便性の高い都会では、ステイタス・シンボルに位置づけているひとも数多くいます。ステイタスとして自動車を所有するにも、宝石や毛皮のような豪奢とは、また違ったこだわり(品質やデザイン性の追求)もあります。(私なぞ、運転が男勝りなだけに、女であってもエンジン音などにこだわりがある!)

しばらくの無沙汰を経て、また車を所有することにしました。
当面は、比較的安い機械式の駐車場を契約することに。そして(駐禁に随分と悩まされましたから)、都内での仕事には概ね公共交通機関を利用することに決め、まずは車での遠出(アウトドアやゴルフ)を楽しみます。


ラベル:ドライブ
posted by 千葉千枝子 at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | ドライブ・自動車/バス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック