2011年03月23日

被災地を歩いて 失われるふるさとの光景 <岩手県釜石市>

日本の被災地を訪ねることは、あとにも先にもないかもしれません。そうした意味でも祖父には大きな感謝をしています。被災地の様子や菩提寺、そして祖父宅を、無我夢中、数々カメラに収めました。しかし帰京後も心の整理がつかず、画像をPCに落とすことさえはばかられる有り様でした。帰京後さかのぼって、このブログを書いています。

震災から2週間が経過しようとするなか、瓦礫の撤去はかなりの速度で進んでいたのがわかります。驚きましたのは自衛隊の人たちの礼儀正しさです。予備のためのガソリンを専用タンクに積んではいたものの、その後の補給の可能性すらわかりません。省エネ運転を余儀なくしておりますと、信号停車のときに隊員がトラックから降りて駆け寄り、「追い越してもよいですか?」と礼をします。警察官も同様です。西日本から多くの警察官が応援に訪れておりましたが、すれ違うときには誰もが目礼をして、この辛さを共有しているのです。疲れも極限と聞きますが、誰一人、その素振りをみせません。

数枚ずつ、報告をさせてください。いかに凄惨だったかと。そして、私たち日本人が本当に礼儀正しい国民であるのだと。被災地が、静かに物を言っています。

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本堂が避難所となる石應禅寺に給水タンクを運ぶ若い自衛隊員たち。遠野や宮守付近に野営する姿もみられた







祖父宅の裏手には、津波で流された他人の自家用車が家の内部にのめりこみ、周辺には無数の鮫(チョウザメ)が横たわっていました。雪が舞い散る寒さのなかで、この異臭です。やるせません。

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今日はここまでにします。祖父の部屋からアルバムがみつかりました。偶然、開いたページに私の長男が赤ん坊のときに撮った写真が貼られてあったのです。このときばかりは、流石に声を出して泣きました。


ラベル:岩手県
posted by 千葉千枝子 at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 地域・まちづくり・NPO | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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