2011年04月29日

被災地・釜石にも遅い桜 祖父らの旅路を見送りました

震災から四十九日となる日に東京を経ち、東北道を北上しました。花巻に一泊して、遠野経由で、被災地の釜石へ入りましたのは、4月29日本葬儀当日のことです。花巻は桜が満開、遠野はまだ蕾も固く、しかし釜石は散りかけの美しいときにありました。

この桜舞い散る釜石は石應禅寺で、今回の震災で命を落とした祖父・下川原孝と叔父叔母の本葬儀、ならびに四十九日法要が営まれました。無常観を、これほど感じたときはなかったかもしれません。

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被災後10日目、そして20日目、さらには今回50日目と、都合3回、被災地を訪ねることになりました。この50日で、被災地の状況はめまぐるしく変わりました。しかし、時が経っても喪失感を拭うことができないのは、人だけでなく街の景色を失ったからなのだと感じます。


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死出の旅路と散る桜―――。そんな光景のなか、釜石市陸上競技協会の会長が読み上げてくださいました弔辞に、私、はからずも号泣しました。とはいえ、三人の旅立ちですもの。納骨に際し、私たち親族一同、最後は笑顔で見送りました。

そして夜は花巻へと戻り、津波で多くのものが流出した祖父の部屋からみつかった日本酒で、弔い酒。釜石の地酒「浜千鳥」に、福島産の「一生青春」…これは郡山に住む従弟が、以前、贈った一本とわかり、従弟もその場で号泣。祖父が、孫からの贈り物、大切に残していたのですね。

酒をこよなく愛した祖父と、祖父を最後まで守りとおした叔父叔母の、
旅立ちに<献杯>


posted by 千葉千枝子 at 00:00| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | ライフスタイル全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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