とりわけ生家があった釜石は、訪ねるたびに街が変化を遂げ、次に来るときのことを思うと切なさも。

祖父らの遺体がみつかった青葉ビルは、このとおり綺麗に整備され、市民の憩いの場に。万一のときは屋内からお寺の裏山へ昇る避難路も、整備されたと聞きます(震災当時、入口以外は逃げ道がない袋小路の避難所でした)。
釜石駅到着後、釜石シープラザの上階にある市の観光交流課を、半年ぶりに訪ねました。今年は釜石の観光復興に、より一層、力になれればと思っています。…ちょっと、心に決めました。
末筆となりました、東日本大震災でご遺族となられた方々、そして今なお不自由な暮らしをされている方々の心の平安をお祈りします。被災地に寄り添う新しい観光をめざして、私も頑張ります。きっとまた、旅を通して再会が叶うはず。応援しています。
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