2007年03月02日

【旅行作家】になるために vol.7

出産を機に、旅行会社を退職。「天職」とおもえた添乗業務も、幼な子をかかえていては難しい。きっぱり辞める、を決意したのです。



長男の出産をきっかけに、旅行会社の退職を決意。職場に大きな未練はなかったのですが、「職業」に対しては未練を残しての退職でした。

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**(画像)二男誕生の瞬間!人生における"最大の悦び"といえる

その長男が満1歳を迎えるころ、有限会社を設立することになりました。独立のきっかけは、銀行員時代の関係で知り合った経営者からのお誘いでした。美容のビジネスが、初事業だったのです。

今でこそ全国の有名百貨店に店舗展開していますが、高級化粧品のシスレー(フランス)が、初めて日本に上陸したのは、80年代後半のこと。米国籍のタイワニーズ・故ヤング氏が、その権利を掌握していました。シスレーに出会い、(その後、三陽商会が実権をとりましたが)美容にたずさわりたいと、若き私は、夢を抱いたのです。そして、美容機材やネイル関連商品を取り扱うビジネスにたどり着き、起業前から数えて足かけ10年、美容業を通しました。

会社を設立すると間もなく、年子(としご)で二男が生まれます。生命の誕生とは、不思議なもので、そこからが俄然、(女として、母として)自分が強くなったように思います。

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**二男が幼稚園にあがる頃には、「若いころ、もっと勉強しておけばよかった」と後悔も。
それにしても、どーして二男は、"起立"の姿勢がとれないの?(甘えん坊。。)通園バッグは、全てお手製。機関車トーマスのクロスステッチ(洋書)を、イギリスから取り寄せて!

仕事を持つ母だけに、不憫な思いもさせました。保育園と幼稚園をかけもち。一緒にいられる時間を、できる限り捻出しましたが、それも、今は亡き実母の協力があってのこと。

さらに、「職歴はあっても、国家資格がない」ことに気づいた私は、子どもが寝ついてから、一念発起の"勉強"を始めました。一般旅行業主任者(総合旅行業務管理者)資格を、まずは受験することに。
現役時代は、忙しくて受験勉強の暇もなかったのですが、退職後、何年も経過していたということもあり、独学だけでは無理そう。なぜなら、(免除科目がなく)全科目受験で受けざるを得なかったから。国内・海外実務対策には、資格学校の「お盆特訓講座」を受講することに。あのころのパワー。。30代だから、できたことかもしれません。

高得点だったこともあり、合格後すぐに、受講した資格学校に請われ、「講師」という仕事をすることに。何足もの"わらじ"を履いた、時期でした。
ラベル:旅行作家
posted by 千葉千枝子 at 00:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行作家・観光ジャーナリスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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