2013年04月04日

八戸・根城(ねじょう)と南部藩 【史跡根城の広場】と【八戸市博物館】

かつての南部藩(今の岩手県と青森県の一部)の中心地は、盛岡とお考えの人も少なくないかもしれません。それは後世からのことで、実は南部藩はその昔、領土を求めて甲斐の国(今の山梨県)から太平洋を航行したとされる南部氏(今も山梨には南部という町が在ります)が、八戸に上陸したことが由来とされます。その八戸に根城(ねじょう)という名の居城が置かれ、以降、政治の中心地として300年の時を刻みました。太閤秀吉の時代になると、根城南部氏は、同族である盛岡南部氏の家臣に格下げとなり、やがて遠野へ領地替えになりました。

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八戸駅と本八戸駅、さらには八戸自動車道・八戸インターから距離も等分の場所に、【史跡根城の広場】があります。講演後に向かったので、あいにく開場時間を過ぎてしまい、深く内部を歩くことはできなかったのですが、開場時間内で希望すれば、ボランティアガイドさんが場内を案内してくださいます(詳しくは、こちら)。
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ボランティアガイドさんのなかでも“生き字引”的存在の瀬川さんが、(私の拙い講演も聴いてくださいました。有難うございました)帰京後、私宛に興味深い資料を送ってくれました。遠野国替えを命じられた、ときの根城南部の殿は、なんと女性だった!というではありませんか。その名は清心尼。夫亡きあとも再婚せず尼となり、歴史に翻弄され南部発祥の地である八戸を悔しくも去ることになったわけですが、遠野へ移るも、綱紀粛正につとめ貴賤の別なく公平に治めたことから、多くの遠野の民衆に慕われたといいます。このお話、ぜひ瀬川さんの語り口で近い将来、聴いてみたいと思いました。


■南部師行(なんぶ・もろゆき)の銅像がたつ【八戸市博物館】と隣接する【史跡根城の広場】のホームページは、http://www.hachinohe.ed.jp/haku/
ラベル:青森県 八戸 城郭
posted by 千葉千枝子 at 00:00| 東京 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の名所・旧跡・お城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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