2013年05月17日

東日本大震災・釜石が舞台となった映画【遺体 明日への十日間】を鑑賞して

今ごろ機上の人だったはず…。実は今日から海外出張の予定でしたが、事情があって前日となる昨日、急きょ取りやめになりました。それで思い立って、有楽町へ。午後には事務所でアポを入れたので、午前の回で、今月24日まで上演されている映画【遺体 明日への十日間】を、鑑賞することにしたのです。
実は、東日本大震災で命を落とした祖父らの三回忌法要の席、施主を務めた従弟から「千枝子さん、もう、あの映画観ましたか?」と聞かれ、ずっと気になっていました。震災から9日目の夜、生存を信じて車で東京を出た父らを追って、JALの被災地臨時便を従弟と二人でおさえ、翌早朝、飛び乗りました。しかし願いも叶わず悲報に触れ、向かった先こそ廃校となった小佐野地区の、冷たく暗い学校体育館でした。遺体安置所です。以前、夕刊紙に綴ったので、ご記憶の方もおられましょう。あの日も小雪が舞っていました。

img118a.jpg


この映画、観たくない、思い出したくない気持ちもどこかにあって、今日まできてしまっていたのです。
それでも事後、「上映中に観れてよかった」と感じました。一人、白昼から号泣…でしたが。
まだ、心情的に観ることができない方も、きっと多かろうとおもいますし、今でなくても、観なくてもよいことなのかもしれません。読経のシーンで、もう、涙が止まらなくなりました。ただ、あの無の光景、映画では伝わらない津波後の街の臭い、深い悲しみが、一挙に蘇ってきたからです。

さて冒頭、映しだされた震災前の釜石市大町の光景は、子どもの頃にみたアーケードの賑わいもそのもので、よくぞここまで再現できたと感心しました。そして遺体安置所の様子は、まさに刻々、真実に迫っていました。せめて体育館には、私どもが駆けつけたとき、もっと多くのご遺体がありましたし、棺も遺体確認ができた方から順に、となっておりました。

自衛隊の方、市の職員の皆さん、警察の方や自警団の皆さん、それに検死にあたられたお医者様への感謝の気持ちは、今も失せることはありません。泥一つなく綺麗にお顔を清め安置くださっていたことに、私たち、本当に驚いたからです。秋田での火葬受け入れは、私どもが釜石で遺体確認をしたときに、やっと決まったことでした。そのときの安堵といったら…。親族一同の想いに共鳴する点が多々、映像のなかにはありました。

今、釜石は力強く復興していこうとしています。私も釜石復興の協力者の一員として、近く市の方々と、都内であらためてお目にかかる予定です。実は釜石線には次の冬あたり、SLも復活するんですよ。あの、銀河鉄道ラインです。映画のパンフレット表紙に、すっと佇む観音様と新日鉄釜石からの煙る光景を、これからも心に刻んで、新しい釜石を応援していこうと思っています。
posted by 千葉千枝子 at 23:59| 東京 ☀| Comment(1) | TrackBack(0) | 旅と映画・旅と写真・旅と絵画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
千葉 千枝子 様
釜石が舞台の映画、八戸では知られていません 勿論、八戸と釜石の人的な被害の差がそうさせているのでしょうが、大槌町出身の僕としては釜石は地元みたいなところです 父は釜鉄でしたし姉や兄は釜石で育っています
僕は運転免許を取得したのも釜石ですし、、、、新聞などの情報で大槌などに比べると釜石の復興が目覚ましいみたいですね 映画に出てくる小川体育館は僕がブラスバンドに居た当時の発表会の会場でもあったところです
もし、八戸で上映されたら必ずみたいと思います
乱文でご免なさい  佐々木 良蔵
Posted by 洋酒喫茶プリンス 佐々木 良蔵 at 2013年05月24日 05:51
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック