2015年12月13日

阿賀町【会津街道】イザベラ・バードや吉田松陰も通ったいにしえの道

会津街道をご存じですか?
参勤交代があった江戸時代、会津藩の本拠・会津若松から新発田(しばた)までの約90キロの街道が整備され、重要な交易路にもなった会津街道。その3分の1、約30キロが阿賀町(新潟県東蒲原郡)で占められています。
廃藩置県に府県統合、ときに明治19年に阿賀町が新潟県となり、昭和の高度成長時代には県の道路が整備されたことで、会津街道は寸断され、今の途切れとぎれの状態になりました。

IMG_8007_edited.jpg


今日は、阿賀町観光ガイドの渡部さんにご案内いただきながら、いにしえから続く旧街道をともに歩いてみました。ただ一人で歩くだけでは解らない、歴史的背景や当地の魅力を知ることができ、大満足。こちらが記念の一枚です。




sIMG_7540.jpg


sIMG_7550.jpg


この、会津街道を歩いた著名人の一人に、イギリス人の女性旅行作家イザベラ・バードがいます。また、その時代、吉田松陰や十辺舎一九も、この道をたどったことが記録に残っています。

tsuka.jpg


一番びっくりしたのは、一里塚です。ご覧ください、石でなく土塁の塚なのです。会津街道には、このように2基1対で街道を挟む塚が、約4キロごとに設けられていて、それも完全なかたちのまま今に残っています。
会津街道は、会津側からは「越後街道」とも言われたそうです。また、村上や新発田のお殿様がお通りしたことから、殿様街道とも呼ばれていたのだそう。不遇だった会津の歴史に想いを馳せると同時に、広くには未だ知られざる阿賀町の観光資源、それも“原石”に触れたおもいがしました。
ご案内を、有難うございました。







posted by 千葉千枝子 at 23:07| 東京 ☔| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本の名所・旧跡・お城 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック