指宿いわさきホテルで朝食をいただいたのち、車で30分ほどで特攻のまち知覧に到着しました。近づくと沿道には石灯篭が並びはじめ、その先に
【知覧特攻平和会館】があります。太平洋戦争末期の沖縄戦において日本軍は、「特攻」という人類史上類のない悲惨な攻撃が繰り広げられた ことを皆さんは歴史の教科書でご存じでしょう。その隊員たちが飛び立った場所が知覧(ちらん)であることを知る若い人は、今は少なくなりました。到着後すぐに、語り部による講話が視聴覚室で行われるというので飛び込みました。
語り部の方は、母親がかつて「なでしこ隊」で特攻隊員と交流があったといいます。スクリーンいっぱいに映し出された若者たち。彼らを桜の枝で見送るなでしこ隊の女学生らの話や隊員らから「おかあさん」と慕われた富屋食堂の鳥Mトメさんの話を伺うにつれ、自然と涙が溢れでました。
福島・喜多方出身で当時、中央大学の学生だった穴澤利夫さんのお話は、以前、大学広報誌で知っていました。ですが、その詳細は存じておらず、婚約者がいたことなども語り部の方のお話のなかで知りえました。
今から77年前、沖縄戦での特攻で命を落とした1036人の御霊を祀る石灯篭は、今ではゆうに、その数を超えているのだそうです。
撮影可能箇所が少ないため、画像はわずかです。この三角兵舎は、2007年制作の映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」にも登場しており、自由に内部を見学できるようになっています。
また、隣接する「ミュージアム知覧」も併せて見学しました。
※東京に帰ってから、Amazonプライムで映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」を視聴しました。石原慎太郎氏が制作総指揮・脚本を手がけたことで知られています。資料コーナーで書籍や冊子を購入したのですが、そこには石原氏がまだ20代のころ知覧を訪れ、トメさんとお二人で歩く写真が載っていて驚きました。映画公開当時は、すでに都知事として執務されていました。
2022年03月04日
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