2015年03月17日

2015年1月【日本記者クラブ】に入会しました

ご報告が遅れましたが、去る1月、【日本記者クラブ】に入会をいたしました。新聞大手の代表ならびに役員の方にご推薦を賜りました。ご支援くださる皆様のご厚情に心から感謝申し上げますとともに、ご推薦者のお顔を潰さぬよう、ペン1本、よい仕事をしていきたいと考えています。
また、2003年暮れに入会して、12年間在籍しました日本旅行作家協会は、今年度末をもって卒業することにいたしました。大変お世話になりました。

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独立してからこれまで、日々のさまざまなお付き合いがあるので、いろいろな組織、権威団体や業界団体に所属をしてまいりました。
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ラベル:千葉千枝子
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2014年11月30日

久しぶり【プレスセンター白門会】にお邪魔しました

先週のこと、日比谷の日本プレスセンタービルへ。日本新聞協会にご加盟の各社ご出資により設立された、報道界の中枢機能も有したビルで、実は私、ちょくちょく出入りしています。
白門のご出身者で組織する【プレスセンター白門会】には、以前に何度か会合にお邪魔したのですが、今回、久しぶりにうかがうことになりました。

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それが長年、

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2014年02月09日

千葉千枝子 2・3月の活動と新連載のお知らせ

50年に一度という大雪から、一夜明けた東京。私の暮らすマンションの隣、米軍専用ホテル・ニューサンノーホテル前の赤いポストに、ちょこんと、モヒカン頭の雪だるまをみつけました。胸に、LEDが灯っていました。2月ももう、月半ばになろうとしていますが、少し整理して活動内容をお知らせします。

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■先月からスタートした新連載【トラベルボイス】「千葉千枝子の観光ビジネス解説」は、毎月2回、お届けさせていただく予定です。次回・第3回目は今週、お目にかけます。
■こちらも先月、今年から新装連載中のFanet【MoneyLife】今日のコラムは、次回(第2回目)2月10日公開予定です。さらに機能がアップする予定で、6月まで毎月1回、お届けさせていただきます。
損保ジャパン提供【トラブルch】に、新たなQ&A項目を執筆しました。アプリ対応です。間もなく公開予定です。
■今夏から、朝日旅行・朝日サンツアーズの会員誌「旅なかま」に新連載がスタートします。タイトルなど詳しくは、後日あらためてご報告いたします。
特定非営利活動法人 交流・暮らしネットの本店所在地を、港区へ移転しました。次年度の活動については、あらためて4月にご報告の予定です。
共著「観光学基礎」(JTB総合研究所)第5版改訂版が、間もなく発行の予定です。今回も、一部執筆しています。
■弊社・有限会社千葉千枝子事務所は、お蔭様をもちまして今月、19期目を迎えました。20周年の節目の年となります。今後とも宜しくご愛顧のほどお願いいたします。

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2012年10月23日

雑誌の座談会に出版社へ テーマは…

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今日は雑誌社近刊のムック本で掲載が予定される“専門家による座談会”に出席しました。ご一緒させていただきましたのは、経済評論家の平野和之さん。刊行が楽しみです。肝心なテーマは…ごめんなさい、今のところナイショです。発行されましたら、いち早くお伝えいたしますね。まずは雰囲気だけ、チラ出し目させていただきました。お楽しみに。

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2011年02月09日

JTWOスイスグループが発足@西麻布スイス・シャレー

所属しております日本旅行作家協会JTWOに、新生の研究会JTWOスイスグループが発足。その初会合が、西麻布の素敵なレストラン【スイス・シャレー】で開催されました。

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皆さま、スイスに造詣が深い方々ばかりで、ご経験談や豊富な知識に脱帽・驚きの連発でした。スイスでは公共の施設に必ずや地下シェルターがあることは聞いて知ってはいましたが、一般のご家庭などのケースのお話もうかがえて、大変興味深いものがありました。お声をかけてくださって有難うございました。次回、第2回目の会合は6月を予定しております。


■おすすめレストラン・西麻布【スイス・シャレー】
ラベル:スイス
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2008年08月08日

旅行作家になるために vol.12

「旅行作家」としてのスタートは、2003年10月、処女作の出版が機でした。以降、旅と金融の融合をテーマに、さまざまな旅系、経済系の出版社さんと、お付き合いをさせていただく機会に恵まれてまいりました。
近ごろでは、多くの方々から「旅行」というキーワードをはずして、作家としての道、ジャーナリストとしての道に挑戦されてみては?と、好意的に、アドバイスいただくこともあります。まだまだ力不足ですが、多くの出会いと励ましのなかで、旅を核にしたビジネスの、その周縁を広げる活動をこの夏、開始しています。

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今日、ご紹介する古い写真は、以前、添乗でお連れしたときの記念写真。河口湖の【湖山亭うぶや】(うぶやさんは、大女将が金融機関ご出身だったこともあって懇意にしてくださり、よく利用しました)に宿泊したさいに、写したもの。15年前の平成5(1993)年と、背面の手製横断幕(絵のお上手なお客様が、ご用意されました)に綴られているのがわかります。
旅行会社勤務時代は、法人営業を担当。旅の企画立案から添乗、精算までを、ひとりの営業マンが行っておりました時代、「お揃いの浴衣を作りましょう」とご提案して、会社のロゴマーク入り浴衣を、皆で揃えました。たいていの団体写真では、添乗員は目立たぬよう、後列脇に加わるものですが、「(アネゴのように)ぜひ、中央で」と促され、幹部の皆さんに取り巻いてもらい撮影させていただいたひとコマです。

「旅」から始まるビジネス。その根源は、若き日のこうした経験にもとづいています。
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2008年03月18日

【千葉千枝子「JTB旅をみがく現場力」出版記念パーティー】vol.5

すでにお届けしたブログ記事をご覧いただき、出版記念会での楽しい様子、少しは伝わりましたでしょうか?
こちらが、最終号になります。ご参加くださいました皆様、本当にありがとうございました。ご参加者全員のお写真を載せられませんが、お許しください。

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会場のザ・プリンス パークタワー東京でのお食事、皆さん、とてもご満足だったようで、よかったです。「ワインも美味しかったわ」とのお声もありました。プリンスホテルさん、大変お世話になりました!

**vol.2〜5まで、画像はすべて写真家の虎谷知彦さんがご撮影くださいました。

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2008年03月17日

【千葉千枝子「JTB旅をみがく現場力」出版記念パーティー】vol.4

ホノルル・ヒルトングランドバケーションクラブ、カリアタワーの客室からお届けしています、過日の出版記念会の続きです。(ハワイの最新の模様は、あらためてお伝えしますね)


JTBparty 003.jpgたくさんの方々に祝福と激励を受け、船出をした新著【JTB 旅をみがく現場力】。その出版記念パーティーにご出席くださりました皆さんもまた、各界でご活躍のかたたちばかり。それはそれは、大いに勇気づけられました。

**当日、急遽駆けつけてくださいました、衆議院議員の黄川田徹氏。両親の故郷・岩手県のよしみで、黄川田先生とは私も父も親交があります。岩手3区選出の現職、小沢陣営の民主党です。スピーチをしていただきました。素朴な感じが伝わります。

年度末という多忙な時期、時間をやりくりしてお越しくださった方たちばかり。そのお気持ちを、真摯に受けとめ、精進したいと心に誓いました。ご臨席賜りました方々を、二回にわけてご紹介します。

JTBparty 001.jpgとりわけ処女作「悠々パース暮らし」を発行に導いてくれました"恩人"といえる方々が、駆けつけてくれましたこと、とても嬉しくおもいました。

西豪州でのロングステイに強いパノラマインターナショナルの副社長を歴任された金子さんと、私の右手は、ロングステイの実践者として処女作にご登場もいただいています鈴木さん。前職にも大きな共通項があります。おふたりとも現在は、NPO南国暮らしの会で監事をなされています。素敵な紳士でしょ。

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**(画像上左)黄川田先生の左隣りは都立富士高の同期で、脳神経外科の医師。彼も私と同様、岩手で出生されたとかで、父(左から2番目です)も含め、岩手つながりグループ。
**(画像上右)業界の横のつながりで、皆さん再会を楽しんでらっしゃる様子が伝わる一枚。
**(画像下左)本書ご登場者に、あらためてお一人ずつ私からインタビュー。
**(画像下右)WENS代表の西鳥羽さんは、JTBのOGで女性起業家。オールアバウト「エアチケット」ガイドの鳥海さん(左)とNPOの理事お仲間の尾アさん(右)。
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**(画像上左)いつも支えてくださっている、私の大好きな女性、イカロス出版の武田さんと。
**(画像上右)山形かみのやま温泉「古窯(こよう)」の大女将・佐藤幸子さん(私の右手)は、日本旅行作家協会入会時の、私の推薦人です。現在は、ビーフシチューで有名な、あの銀座・古窯で接客をされています。NPOロングステイ推進連絡協議会の今野理事長も。
**(画像下左)本書最後のクライマックスでご登場いただいています、インバウンドの長、野口社長。
**(画像下右)チェンマイ旅行団から、象さんのフィギュア付きバラのバスケットを戴きました!タイトルは「北方のバラ・千枝子」だそうです(加藤さん、アリガトウ)

JTBparty 086hasegawasan.jpgとても好評でしたのが、ハワイアンバンドの友情出演です。

手前、女性ボーカルでウクレレを弾く長谷川和枝さんは、赤坂バードランドで舞台も踏むお方。二度目の友情出演を、引き受けてくださりました。ありがとうございます!
中央の男性ボーカル・鶴田照夫さんは、本業は写真家で、ウクレレ講師もされる多才なかた。奥でテナーサックスを奏でる佐藤弘行さんは、三島敏夫さんらのグループで活動もされていたプロです。ハワイアンの音色はムードもよく、明るく華やぐ印象になりました。


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2008年03月16日

【千葉千枝子「JTB旅をみがく現場力」出版記念パーティー】vol.3

DPP_3886suemunesan.JPG発起人ありきの出版記念会は今回が初めてでしたが、発起人代表を快く引き受けてくださいました末宗直人氏には、多方面で大変お世話になりました。本著でご登場されていますが、裏付取材ばかりか、こうしてオモテの舞台にも立ってくださる。大学&旅行会社の大先輩で、且つ、私がJTBに中途入社で採用されましたときの、当時の人事部長でもあります。

冒頭、発起人代表からのご挨拶のなかで、現在発売されているKKベストセラーズの単行本「キャリアウーマン・ルールズ」(横江公美著)の話題に触れ、それが、とっても聞かせます。
DPP_3924ryoso.JPG「仕事にフェロモン戦略は有効か?」という副題どおり、「さて、千葉さんは、果たしてライスに代表される"オンナ・タイプ"か、それともヒラリーになぞられる"オトコ・タイプ"か」と問う場面も。(このご本、のちほどプレゼントしていただきましたが、できるオンナたちの新ルールに触れている最後の章が特に面白そう。出張に、機内の友としてお供させることにしました)
という具合のなか、主催者(←これ、私。出版社ではありませんのよ)が、まずは皆様のご来場に謹んで御礼申し上げ、ご挨拶。

DPP_3933tagawassenmu.JPGご来賓のご祝辞は、(株)ジェイティービーを代表して田川博己専務取締役にお言葉を頂戴しました。ご要職にあられて、年度末のご多忙なこの時期に、こうやって駆けつけてくださり過分にありがたく、また、経済小説風に現場力を描いた部分に触れ、この日のために早や2日で、見本を完読してくださっていたことを知らされました。国内・海旅ともに現場でご経験された、JTB役員のなかでも唯一無二な存在。迫力ある外見とは違い、優しいお人柄が伝わります。

DPP_3934hideosan.JPG続いて、先日ブログでもご紹介しました、民俗写真家の芳賀日出男先生にご祝辞を頂戴しました。芳賀先生は、確か昨年お会いしたとき88歳と伺いましたが、スピーチの声音(こわね)は50代そのもの。迫力があるうえ、お話もお上手で、ひとを惹きつけます。

乾杯のご発声は、旅行業白門会の会長を務められる糟谷愼作・西武トラベル(株)代表取締役社長に、スピーチともどもお願いしました。
皆さん、ひとの上に立つ人格者だけあり、どなたに於いてもスピーチがお上手なのですが、糟谷さんのスピーチも素晴らしく面白い。
DPP_3939kasuyasan.JPG「JTBさんが"オンリーワン"を目指すと言っていますが、どうか"ナンバーワン"で我慢してください…云々。もう我々は、JTBさんからすれば、ウサギかネズミみたいなもの……」と、会場を沸かせます。こうした言葉が嫌味なく、かなりユニークに、でも風刺的に話せる糟谷さんを、またまた尊敬してしまいました。

糟谷さんの表情とは裏腹に、皆さん破顔で乾杯、いいですね!
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2008年03月15日

【千葉千枝子「JTB旅をみがく現場力」出版記念パーティー】vol.2

今回開催した出版記念会も、前例たがわず、すべて私自身がプロデュースをしました。
会場の手配、案内状の作成、進行表や台本づくり、引出物の選別、キャスティングなど、これすべて、旅行会社時代に仕事でやっていたこと、そのまんま。「手作りでもてなしたい」という想いがありましたので、ご案内状の宛名筆耕も、筆を新調して、墨書きも自分で行いました。

DPP_3903uketsuke.JPG受付の脇を飾る祝花の前で、皆様をお出迎え。開宴までを、早めにお越しいただいた方々と記念撮影していただきました。今回、若き写真家の虎谷知彦氏に、お忙しい中お時間を割いていただき、撮影にあたっていただきましたため、今日ご紹介する画像はどれも、素晴らしい写りです。

ザ・プリンスパークタワー東京の宴会場は、地階にあります。大きなコンベンションホールを中央に、周りを中宴会場が並ぶデザイン。

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両脇に版元の編集者。この3人でスクラムを組んで1冊を作り上げました


ザ・プリンスパークタワー東京の宴会場は、地階にあります。大きなコンベンションホールを中央に、周りを中宴会場が並ぶデザイン。
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受付を外廊下にしつらえてもらいましたが、嬉しかったのは、出迎えてくれたスタッフのひとたち。なかでも「千葉さん、覚えていますか?」と、ニコニコ笑顔でご挨拶をくださった男性。すぐには思い出せなかったのですが、「横浜プリンスにいた持井です」と。(あっ!、磯子の高台にプリンスホテルができたとき、すぐに予約を入れ団体を送客、ご一緒した、あのときの……。)すっかり記憶も蘇り、固く握手を交わしました。

――私は、名刺を捨てない主義です。「人脈は足し算」と、常々、他人にも語ります。足せない人生は、もったいない。
持井さん、ありましたよ!91年10月14日に、名刺交換しております。立派に、マネージャーにおなりになり、何とも嬉しい再会でした。

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2008年03月14日

【千葉千枝子「JTB旅をみがく現場力」出版記念パーティー】vol.1

本格的な春の訪れを感じさせる、温かな一日となりました3月13日の夕べ、芝にありますザ・プリンス パークタワー東京にて、新著「JTB 旅をみがく現場力」(千葉千枝子著・東洋経済新報社)の出版記念会を開催しました。
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冒頭のご挨拶で流通にのったばかり、できたてホヤホヤの本書を紹介する私(撮影:尾ア成男)


008ohana.JPG取材でお世話になりましたJTBグループ各社代表をはじめ、取引先や業界関係者、作家仲間、高校・大学時代の知己の友人、知人らに見守られ、新著の船出を一緒に祝っていただきました。
心温まる祝電や祝花の数々、そして何より、心から千葉千枝子を応援をしてくださる方々ばかり総勢70名超、年度末のお忙しいこの時期、会場を埋め尽くすほどにお集りいただけたことに、この場を借りて、心から感謝を申し上げます。
**台湾観光協会の江所長からも、立派なスタンド花をお贈りいただきました。ありがとうございました!

P3130262ozakisan.JPG5冊目の単著となりました「JTB 旅をみがく現場力」は、3年越しの作となりましたうえ、出版記念会も3年半ぶりの開催となります。「冬を吹き飛ばす、春迎えのパーティーを」との呼びかけのとおり、この日のために新調した明るい色のロングドレスで、皆様をお出迎え。この日の様子は、後日、画像を交えながら(写真家のかたに、撮影に入っていただきました)、順次お伝えしたく思います。

**ご来賓のご祝辞に、日本旅行作家協会を代表して、日本写真家協会名誉会員でもあられる芳賀日出男さんより、お言葉を頂戴しました。私が自らご紹介。JTB特製カレンダー「旅の絵ごよみ」366日分のお祭り画像をご提供される、著名な民俗写真家。私も現役時代、暮れともなると、このカレンダーをお客様に配って歩きました。

007chiekoparty.JPG"新陳代謝"というのでしょうか、節分を過ぎ、春が本格的に近づくにつれ、脱皮を始めた自分がいます。これまでの環境、周りを囲むひとたちのなかでも、自分にとって、仕事においてマイナスとなるひとたちは、この時期を境に、私が望まずとも、自然と離れてくれました。"春節"とは、まさにそういうときなのかもしれません。

たくさんの支援者の前に立ち、マイクを手に第一声をあげた瞬間の、私の瞼に焼きついた光景。父をはじめ(今回、初めて、自らが主催する出版記念会に肉親を招きました)、多くの方々が、満面の笑みを浮かべ、私、千葉千枝子一点を見つめて下さっているさまを、きっと私は、生涯忘れることができません。

005partysekisan.JPG会の翌朝、自宅浴室の湯船につかりながら、その光景がフラッシュバックのごとく蘇り、私は思わず大泣きしました。(何と申しますか、体外離脱の瞬間のようで。。祝いの席に変な話ですが、葬式のときに送られる死者の魂は、こういう場面、こういう光景を見ているのではないかしら?と) 脳裏に焼きつく、素晴らしい光景でした。

**中途採用同期の関敦子さんも、お嬢さんたちと駆けつけてくださいました。彼女は三菱商事からJTBへ転職したキャリア採用同志。素敵なママさんになっていました!

来週からの海外出張前に、パーティーの模様を少しずつ、ブログにてご披露しますね。




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2008年02月29日

【兼高かおる】さんの祝賀会

鳥居坂のなかほどにある【国際文化会館】ホールで開催されました、【兼高かおる】さんの祝賀パーティーに臨席いたしました。
017kaorusan.JPG今年は、かつて新潮社が主催した"世界一周早まわり"から、ちょうど50年の節目の年になるのだそう。いつまでも美しく、チャーミングな兼高さん。ご案内状もお心配りのあふれる文面で、本当に頭が下がります。尊敬する女性であるのはもちろんですが、お近づきになれただけでも、とってもうれしいことですのに。
ドレスに身を包んだ兼高さん、大勢の方々から祝福を受けつつ、ご挨拶ばかりでなく、ダンスを踊ったり、かつての貴重な映像をナレーションされたりと、とても華やかで、でも何か心温まる会でした。

お写真が撮れず残念でしたが、染色家の長野貞子さんがお召しになっていた黒地に桜文様のお着物。ご自身が手描きで染めたそうですが、とても素敵なお着物でした。
**(画像下左)兼高さん自らが、ナレーションされた秘蔵映像の数々。白黒の映像も多く、あらためて、その功績に敬服。プロポーション抜群!若き日の兼高さんが、水着姿で水上スキーを楽しむ模様(思わず拍手が鳴っていました)や、ケネディ元大統領との会談の様子などなど、誰もが集中して見入りました。
016kaorusan.JPG  027pegy.JPG途中、生バンドや歌も入りましたが、素晴らしかったのがペギー葉山さん(画像右)の歌唱。お歌のプレゼントって、とても心に残るものですね。

「ローズ」という愛称で、慕われている兼高さん。ご出席の皆さんに、真紅の薔薇と、可愛いメサージュ・ド・ローズの(バラの花びらを模った)チョコ、そして「兼高かおる 世界の旅」の写真集などをお土産に頂戴しました。
兼高先生、いつまでもお元気で、そして何より、いつまでも私たちの"お手本"でいらしてください。

ラベル:旅行作家
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2008年01月12日

旅行作家になるために vol.11

1月12日付【日経新聞】NIKKEIプラス1「教えて!達人」コーナーで、「滑らないスノーリゾート」を特集しています。"滑らない"は、受験にかけています。受験生の皆さん、そして受験生の親御さん、頑張ってください!


昨年末来、不休の日々が続きましたが、成人の日にかけての三連休は、自宅で、実にゆっくり過ごすことができました。
資料や書棚の整理をし、膨大な書籍をジャンル別に並べ替えて、気分もすっきり。こうしてみると、いかに自分が、心身ともに整理がついていなかったかを実感させられます。多忙と情熱に、ただ、かまけていたのです。

chiekostyleosuwari.jpg旧い懐かしい写真を、デジタルで残すこともやっておきたいことでした。そこで、手始めに二枚、貴重な昔の写真をスキャニングしました。

昭和40年生まれの私は、東京オリンピックの年に母のお腹に宿りましたから、まさに高度経済成長の申し子。大志を抱いて田舎から上京した父と母の新婚時代、ふたりの東京暮らしは、練馬の石神井公園近く・高野台がスタートでした。
**福々しい赤ちゃんでしょ。私、です。

よちよち歩きができるころ、今ある戸建の実家へ引越し、私は29歳までを練馬で過ごします。

240180shichigosan.jpg今は亡き岩手の祖母から贈られた七五三の衣装も、いまでも大切に桐ダンスに収めています。祖母は明治の時代、東京で和洋裁を学び、田舎で教壇に立っていました。お宮参りに始まり、祖母の姿が収められた白黒の写真も、幾つも出てきて懐かしい。。昨年放映された、NHK「百歳バンザイ!」で特集された祖父の横で、画像で登場したあの祖母です。

代々の想いを感じ入りながら、画像の整理は続きます♪





ラベル:旅行作家
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2007年11月29日

JTWO【忘年例会】

jtwokanetakasan.JPGグランドプリンスホテル赤坂にて、JTWO日本旅行作家協会の忘年例会が開催されました。

黒の可愛いドレスを纏った兼高かおる会長による開会の辞に始まった、今回の例会。たくさんのご参加者で、会場は溢れかえりました。

jtwobounen.jpg新入会員の紹介コーナーでは、ロンリープラネット編集長の小野さんも、一冊、片手にお披露目のご挨拶。お仲間がたくさんできて、うれしい限りです。

協賛各社のご提供による恒例の大抽選会では、私もちょっとだけお手伝いを。。景品のお渡しは、数が多いだけあって、意外と大変な仕事です。


ラベル:旅行作家
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2007年11月14日

【編集者の会】

高輪での会議のあと、向かったのは半蔵門。
知人に誘われ、【編集者の会】に出席しました。
書くこと(書き手)が本業の私ですが、編集という立場で、売れる本作りをされているプロの集団のお話を伺うことは、大変有益なこと。書店にある書棚の多くを占める大手出版社の編集担当の皆さんは、若手が多いせいもありますが、皆、熱意があり、勉強熱心です。
各出版社が垣根を越えて交流されているのに、驚きも感じました。業界内での転職や独立、行き来が多い世界と聞きますが、"立ち止まらず、転がることで強くなる"ものだと信じる私には、この会が、とても好ましく映りました。
ラベル:ビジネス
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2007年08月04日

【10年愛される「ベストセラー作家」養成コース】

今日は、出版コンサルタントで有名な土井英司さんが主宰する【10年愛される「ベストセラー作家」養成コース】に参加しました。

土井さんとは、オールアバウト本社で開催されたガイド向けセミナーにてお目にかかったのが始まり。一度、この養成コースを受けてみたいと思っていたので、渋谷・宮益坂の会場へと足を運びました。

この養成コース、略して「ジュウアイ」と呼ぶらしい。(まるで、渡辺淳一著「愛の流刑地」のアイルケみたい。。)
たくさんの出版希望、作家志望が集い、さながら人気の高い自己啓発セミナーのようでした。流石、土井さんのカリスマ性、秀逸性が表れています。

「本を書くと人生が加速する」、「メディアは言葉である」、「人としての価値を高めたほうが、メディアバリューが高くなる」、「自尊心の奴隷にならないこと」etc……。お若い方ですが、土井語録にはハッとする言葉やエッセンスがちりばめられていて、凄い。
もちろん有料セミナーで、2時間の講義に12000円。
ですから、もっと肝心なことは、ヒミツです。。

自分がこれから何を成すべきか、どの方向へ向いて歩めばよいのか、「書くこととは。。」が、見えたような気がしました。

■土井英司さんが代表の【エリエス・ブック・コンサルティング】のホームページは、http://eliesbook.co.jp/
ラベル:旅行作家
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2007年07月31日

旅行作家になるために vol.10

2冊目の刊行となったのが「ハワイ暮らしはハウマッチ?―ロングステイの資金計画はこれで安心 (ラシン特選ブックス)」、2004年夏のことでした。

この年は、ロングステイ元年ともいえる年。
9月に開催された、「金融」と「旅行」というふたつの大きな祭典で登壇したのを機に、本格的な講師業への道が開けたのです。
ひとつは、「FPフェア2004」。ファイナンシャルプランナーの会報誌「FPジャーナル」にリポートを発表したのをきっかけに、協会から登壇のオファーをいただき、旅と金融の融合としてロングステイというライフスタイルを広くFPのひとたちに紹介する機会を得ました。
もうひとつは、日本旅行業協会が中心となり例年開催される「世界旅行博2004」です。この年、クルーズとロングステイがテーマとなり、あらたな旅のカタチとして、ロングステイがとりあげられました。

秋以降、雑誌等への出稿依頼が急増。ロングステイ事業への参入を希望する企業からの相談件数も増え始めました。

中立的な立場でマーケットを拡大することを目的・使命にしていましたが、現状と実態を把握するためにも財団法人ロングステイ財団に、高額な賛助会費を支払い、会員の一員として連名することに。以降、約2年半、法人会員として在籍します。評議員として選出され携わった2年間は、広報委員、教育委員として、おもに会報誌や統計資料の作成等を手伝いました。

hawaiihon.jpg「ハワイ暮らしはハウマッチ?」は、私のような零細の事業者がいかに(自分の)ポテンシャルを確立するかを占ううえで、重要な一冊となりました。

**お台場のホテル日航東京で行った出版記念パーティーは、たくさんの協力者に支えてもらい、おかげさまで盛会となりました。
名が立つ以前から応援してくださったひとたちには、感謝の念が尽きません。今でも時おり、このときの写真を観て「初心忘るべからず」を唱えるのです。。
ラベル:旅行作家
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2007年07月22日

JTWO【トロピカル・ビアパーティー】

jtwohawaii.jpg日本旅行作家協会通称JTWO("ジェイトゥー")の7月例会が、去る19日、【銀座ライオン】で開催されました。

今回は珍しくドレスコードがあって、お題は"ハワイアン"。
私は去年の横浜ハワイイフェスティバルで購入した、ピカケのワンピースで臨席。
席上では、日本フラダンス協会会長マリア・ニイノ(新野まりあ)さんがフラを披露され、会場は大いに盛り上がりました。

jtwohwi.jpg椎名誠さんも久しぶりご来場されたので、一緒に写真を撮りました。(そうそう、先日CS放送で一緒にゲスト出演された野田知佑さんと、かつて冒険旅行のTV番組に出演していた椎名さん。「先日、野田さんとお会いして…」と、話も弾みました(きゃー)。

**私の左隣りのアロハな紳士は、週刊文春でアダルトな挿絵を描いてらっしゃる種村国夫さん。椎名誠さんの右隣り、女子大生に特に人気の大学教授・秋山秀一さんと。皆さん、JTWOのメンバーです。
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2007年05月14日

取材の妙味

jtbshuzai.jpg日本橋にある出版社さんへ、打ち合わせに赴きました。
一年余ヵ月に渡る取材を経て、脱稿までいよいよヤマ場を迎えています。

「千葉さん、海外行ってる場合じゃないよ」と、海外出張禁止令が下され、完全に臨戦態勢。。
膨大な資料に、取材ノートは(大学ノート版だけでも)ゆうに10冊を超え、新聞の切り抜きも含めると、目を通すだけでも大変!な、ありさまです。

これまでにない取材記録の一部を、ちょっと画像に残してみることにしました。。「血と涙」ではなく、汗と涙の結晶です…。

ラベル:旅行作家
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2007年05月10日

旅行作家になるために vol.9

■おかげさまで、ブログ開設1周年を迎えました!日ごろのご愛読をありがとうございます


sパース暮らし_表紙.jpg


処女作となった「悠々パース暮らし」(綜合ユニコム)は、たくさんのひとたちに支えられての記念の一冊となりました。

美容商材のインセンティブ旅行で例年ハワイへ赴いていた私は、家業の不動産会社を手伝っていた関係もあり、タイムシェアや現地不動産に興味を示すようになりました。90年代後半〜2000年初頭にかけ、地元関係者に人脈も増えたころ、都内で営む海外不動産販売会社に、奇しくも縁することになります。すでにタイムシェアを保有し、そのしくみを熟知していましたが、まだ日本国内では十分に認知されていなかったころでした。

その海外不動産会社は、あとで知るところにノーライセンスの悪徳業者で被害者も多く、現在ではすでに廃業していると聞きます。こうした無法者が、今後は国内でも増加するだろうと予見しているさなか、新規造成中のマリオットが、セールスライセンスを付与できる日本人を国内で探しているとの情報を入手。現地で研修を受けることになりました。

巷では「ロングステイ」という言葉が流行りはじめていましたが、商標権の問題などで市場は停滞し、旅行業の見地からは疎んじられたマーケットに挙げられていました。

著者千葉千枝子.jpg


東京・築地のある出版社が、ロングステイの専門雑誌をつくりたいということでプロジェクトチームに招かれたのをきっかけに、旅行会社時代、世話になった方々と再会する機会が増えたのです。

**著者プロフィールの画像は、美容業時代に懇意になったオプシス(東京・日比谷)の女性経営者に撮影を依頼。全てが"手弁当"でした。

ところが、イラク戦争が沈静化したのも束の間、SARS問題が深刻化し、雑誌の立ち上げは頓挫しました。強力な協力者が現れたというのに、プロジェクトは宙に浮いた状態に。

そこで、知人のつてをたどり、持ち込み原稿で企画のテーブルに載せてもらって出版化できたのが、デビュー作となったこの本です。企画立案から、すでに1年半以上の歳月を費やしていました。事業の転換と深夜に及ぶ執筆や家庭環境の変化で、途中、体調を崩して入院も経験しての長旅でした。

こうやって、たくさんのひとに助け舟を出してもらっての出帆(出版)で、ここからが旅行作家としての第一歩となったわけです。
ラベル:旅行作家
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2007年04月26日

旅行作家になるために vol.8

今の仕事に活きているのは、旅行会社時代に培った知識と経験。
しかしながら、銀行勤務の時代に身につけた金融の基礎的知識や経済・商業のしくみ、そして礼節は、一生の宝となって、のちのビジネスに活かされることとなりました。

とりわけ実感できたのは、独立後。
中小企業を回っての営業活動を、サラリーマン時代にイヤというほど体験し、いざ、自分が零細事業主になってみると、今ある"自由"や"やりがい"とは引き換えに、大きなものも無くしたように思います。

私はいつも、「対価の代償」という言葉を思い浮かべて、さまざまな選択をしてきました。
得ることによって、払う代償もある。代償があるから、大きな対価を得られる。表裏一体の、無常です。

さて、旅行会社時代は、営業、ツアーの企画立案、添乗、そして精算と、全てをこなす激務でしたゆえ、よくよく身体を酷使しました。(仕事帰りは、会社の仲間と連日飲んでいましたから、なおさら!あの頃、「歳をとったら、肝臓か腎臓をやられるわよ」と言った先輩の言葉を、最近、よく思い出す。。)

jtbohyamablog.jpg(現場で)激務とはいえ、中途入社時の集合研修は、とても楽しいものでした。
多摩・永山にある現在の研修施設一帯と(土地の)等価交換をしたため、今は無き大山(板橋区)の研修所に泊まりこんでの新人研修。
ここ数日の新聞紙上に、「景気復活のあおりをうけて新人研修も復活の兆し」とありましたが、頼もしいばかりです。若いころの吸収力を思うと、かつて世界に誇った"日本型経営"の長所が、ここ数年、置き去りにされてきたようにも思います。

jtbohyama.jpg


**大山研修所では、地理や名所・旧跡・名産、航空時刻表・鉄道時刻表の読み方、運賃の計算方などを、みっちり教えてもらった。。

jtbparisblog.jpg営業が好きで、営業を希望しての入社でしたが、辛いことも、ままありました。そうしたとき、気分転換になったのが添乗業務です。
これまた、「ツアコンが激務」と最近の新聞記事にありましたが、まさに現代の専任ツアコンは、payのうえでも過酷な職業といえましょう。コストの高い正社員が、大手を振って添乗にでかけることができた、あの時代だったからこそ、充実したサラリーマン生活を送れたのかもしれません。

**GWなどの繁忙期は、LOOKの添乗にも借り出された。。これは、パリのエッフェル塔を、徒歩で登ったときの写真(歩いて展望台まで行けるの。。夜、有志を募り、ご案内)。(右側の)ツアーにご参加されたお客様は、今でも手紙をくださる。

近ごろは、"添乗経験のある筆者、求む"ということで、新たな企画の依頼が来たりと、他者とは一線を画した仕事ができる厚遇に感謝もしています。
現場を知った強みとは、こういうことを指すのかと、そして、得手に帆をあげてよかったと、常々痛感をしております。

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**銀行員時代に始めた着付けも師範をいただくに至りました。あのころは、仕事のあとはお稽古ばかりでしたが、それもよい経験でした。



人生やビジネスにおける「対価の代償」は、これからも、まだまだ続きそうです。求めるものが大きいほどに、今までにない代償をも払うような予兆があります。恐れないこと。そう自分に言い聞かせています。

ラベル:旅行作家
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2007年03月02日

【旅行作家】になるために vol.7

出産を機に、旅行会社を退職。「天職」とおもえた添乗業務も、幼な子をかかえていては難しい。きっぱり辞める、を決意したのです。



長男の出産をきっかけに、旅行会社の退職を決意。職場に大きな未練はなかったのですが、「職業」に対しては未練を残しての退職でした。

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**(画像)二男誕生の瞬間!人生における"最大の悦び"といえる

その長男が満1歳を迎えるころ、有限会社を設立することになりました。独立のきっかけは、銀行員時代の関係で知り合った経営者からのお誘いでした。美容のビジネスが、初事業だったのです。

今でこそ全国の有名百貨店に店舗展開していますが、高級化粧品のシスレー(フランス)が、初めて日本に上陸したのは、80年代後半のこと。米国籍のタイワニーズ・故ヤング氏が、その権利を掌握していました。シスレーに出会い、(その後、三陽商会が実権をとりましたが)美容にたずさわりたいと、若き私は、夢を抱いたのです。そして、美容機材やネイル関連商品を取り扱うビジネスにたどり着き、起業前から数えて足かけ10年、美容業を通しました。

会社を設立すると間もなく、年子(としご)で二男が生まれます。生命の誕生とは、不思議なもので、そこからが俄然、(女として、母として)自分が強くなったように思います。

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**二男が幼稚園にあがる頃には、「若いころ、もっと勉強しておけばよかった」と後悔も。
それにしても、どーして二男は、"起立"の姿勢がとれないの?(甘えん坊。。)通園バッグは、全てお手製。機関車トーマスのクロスステッチ(洋書)を、イギリスから取り寄せて!

仕事を持つ母だけに、不憫な思いもさせました。保育園と幼稚園をかけもち。一緒にいられる時間を、できる限り捻出しましたが、それも、今は亡き実母の協力があってのこと。

さらに、「職歴はあっても、国家資格がない」ことに気づいた私は、子どもが寝ついてから、一念発起の"勉強"を始めました。一般旅行業主任者(総合旅行業務管理者)資格を、まずは受験することに。
現役時代は、忙しくて受験勉強の暇もなかったのですが、退職後、何年も経過していたということもあり、独学だけでは無理そう。なぜなら、(免除科目がなく)全科目受験で受けざるを得なかったから。国内・海外実務対策には、資格学校の「お盆特訓講座」を受講することに。あのころのパワー。。30代だから、できたことかもしれません。

高得点だったこともあり、合格後すぐに、受講した資格学校に請われ、「講師」という仕事をすることに。何足もの"わらじ"を履いた、時期でした。
ラベル:旅行作家
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2007年01月06日

【旅行作家】になるために vol.6

「好き」を仕事に。その一念で、金融の世界から旅行業に転身。天職にめぐりあうまでは、苦悩の日々でした。


旅行会社時代、諸先輩の口から出た言葉に、「『旅』が好きなだけでは、この仕事はやっていけない。ひとが好き、ひととの出会いに悦びを感じられることが、旅の仕事の向き不向きを決定する。。。」
含蓄あるでしょ、「まさに、その通り!」だと、私は思うのです。

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**仕事の面白さに目覚めることがなかった銀行員時代。休暇ともなるとスキーやテニスをしに、近県を旅していた。

tennischuo.jpg富士銀行が三ヵ年計画で発足させた【富士ファインレディ】は、従来の得意先係(渉外)を専門部隊化したもので、私はその一期生として入行。

男女雇用機会均等法の施行をうけ、大卒男子と同等の給与体系を条件にしているのが特長で、6ヵ月間に及ぶコンサルティングのための集合研修を経てのち、各支店に配属。得意先の担当にあたりました。

1988年、時代はまさにバブルの絶頂期。八重洲口支店に配属となった私は、得意先の代表者や役員の、個人資産の運用をお手伝いするのが主たる仕事。行員でなければお目にかかることもなかろう、立派な経営者の方々を間近でお世話できたことは、我が人生において、とても幸運なことでした。

とはいえ、極端な男性社会の時代。得意先の経理担当者らから、「新人の女性行員に、企業の大切な預貸金の話はできぬ」と、担当を男性行員にもどすよう依頼があるなど、制度のひとり歩きが問題化しました。

結局、富士ファインレディは、3ヵ年を待たずして解散に。離職率の高さが、この制度に、失敗という烙印を押したのです。

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富士銀行を去り、シティバンクに転職をしたものの、「果たして自分の本当にやりたい仕事は何なのだろう」と、自問自答の日々が続きました。そうしたところにJTBが、初の大卒社会人対象・中途採用試験を実施すると、新聞紙上で、募集告知をはなったのです。

**JTBでは、希望の営業職につき、団体旅行を担当。添乗も頻繁だった。カナダのアラバスカ大氷河で。ウイスキーとコップを用意して、氷河でオンザロック!旅の演出は、本当に面白い!!(右端が私。。)

水を得た魚のように、仕事に邁進したJTB時代。完全燃焼の20代後半でした。


そして。。本当に、人生とは面白いもの。
ときの人事部長で、面接に立ち会われた末宗直人氏(のちの専務取締役)は、現在、たずさわっておりますNPO法人【交流・暮らしネット】を創設された方です。すべての経験や出会いが、まるで、あざなえる縄のように、今に繋がっています。


■バックナンバー【旅行作家】になるために
ラベル:旅行作家
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2006年12月03日

故・斉藤茂太会長を偲んで

冬ばれの12月3日(日)、精神科医で文筆家の斉藤茂太・日本旅行作家協会会長の告別式が、青山葬儀所に於いて、しめやかに執り行われました。

aoyamasougisho.jpgいつでも笑顔を絶やさない、心やさしい斉藤会長は、みなさんから"モタさん"の愛称で、親しまれていました。
弔辞を読まれた兼高かおる副会長は、遺影に向かい「モタちゃま。。」と、お呼びかけになり、会場の涙をさそいました。

献花台には、斉藤会長が生前、収集された"フライトバッグ"が並べられ(ゆうに70個はあったでしょうか、パンナムや日航など懐かしいロゴばかり)、旅好きを思わせる、会長らしいお別れの会となりました。

合同蔡となりました、医療法人財団・斉藤病院斉藤理事長さまのお話には、悲しみと驚きがありました。
ご自宅で下血され、いったん心肺停止状態になられた茂太会長は、その後、奇跡的にも著しい回復をみせ、帰宅を許されるほどに病状が安定したといいます。

とはいえ、そののち急変し、帰らぬひととなられたのですが、そのときのご様子を「飛行機でいうなれば、touch and go (タッチ&ゴー)でした」と語られたときには、私も思わず涙が。。。


参列者の道を飾った写真家・櫻井寛先生ご撮影の、斉藤会長とご夫人の、旅先での美しいお写真は、生前のお人柄がよく表れた素晴らしいアングルのものばかり。ご夫婦いつまでもお仲良く、世界を旅されたご様子が、手に取るように伝わりました。

ご冥福を心からお祈り申し上げます。
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2006年10月11日

旅行作家になるために vol.5

出会いは偶然ではなく、必然。そう思わせる出来事が、人生の、特に岐路には幾度も訪れます。


第一次雇用機会均等法施行後、初の大卒女子大量採用に伴い新設された、営業職の第一期生として、富士銀行に内定をもらった私。
卒業旅行に選んだ先は、JTB地球倶楽部が主催する、ヨーロッパ周遊のパッケージツアーでした。

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今でいう「格安ツアー」のはしりで、夜入国して朝出国するという、到底観光もままならない過酷な旅程。12日間で、伊、仏、独、英、西、スイスを網羅した、不眠不休の生憎旅です。とはいえ、私にとりましては初めてのヨーロッパ。文化度の高さにも触れることができ、心に残るひと旅でした。

**画像はイタリアでのひとこま。。入行式の直前、当時流行りだった、この自慢のワンレングスに、(前髪だけ)ハサミを入れた。

参加者のなかには、ツアーのハードスケジュールに耐えられず、自費で途中離脱する学生もいました。添乗員は女性。体力も去ることながら、精神的にも大変な仕事を、嫌な顔ひとつせずこなしています。その印象的な姿が、のちの転職活動に、大きく作用しました。

西垣カズ子さん。彼女と再会したのは、私がJTBに転職後参加した、(当時の)東日本営業本部主催の欧州添乗研修旅行でした。もちろん、指導添乗員の役です。
普段から幾人ものお客様をお連れし、私のことなぞ覚えていないだろうと、この偶然に驚きながらも、おそるおそるご挨拶をしてみると、「確か、銀行に就職すると言ってましたよね」と西垣さん。あとから判ったことですが、あの添乗が、彼女にとっての初添だったのだそう。内実必死で、記憶も濃い仕事だったそうです。

今では、添乗員派遣会社JSI・JTBサポートインターナショナルで、ベテラン添乗員として新入社員の指導する立場の西垣さん。「(JTB本体の正社員になれば)添乗以外の業務をやらざる得なくなる」という明快な理由で、(上智大の新卒でありながら)子会社のJSIに入社。空を駆け巡る職業に就いたのだと、のちに知らされました。

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**画像は、富士銀行入行後の教育研修で。左が、営業部隊向けの制服を着用した私。(前髪が、あるでしょ!)

その後、私がJTBを離れてのち、縁あって講師デビューした、『 資格取得ならLECの通信講座』のフレーズで知られる資格総合スクールLEC東京リーガルマインドで、実務家として西垣さんにご登壇いただくなど、「必然」と思えるこのご縁は、JTB退職後も細く長く続いています。



【旅行作家】になるために vol.4
【旅行作家】になるために vol.3
【旅行作家】になるために vol.2
【旅行作家】になるために vol.1



ラベル:旅行作家
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2006年10月06日

【椎名誠】さんを囲んで

makkotosan.jpg日本旅行作家協会・女性の旅研究会(ちなみに、私はサブリーダー。。)が主催した「椎名誠さんを囲んで"シーナワールド"に酔う会」に出席。

六本木のジャズクラブAll of Me Clubを借り切っての、今回の試み。
ビール片手に、素敵な椎名さんのチベット話。しばし酔いしれました。


shiinamakoto.jpg「探検家」のイメージが強い椎名さんですが、私小説あり、エッセイあり、SF小説に超常小説あり。。と、ジャンルの広いことでも知られています。(とにかく精悍ですし、オーラがいっぱい♪)

「チベットとモンゴルを混同するひとが多い」という話題からスタートしたわけですが(確かに、私も曖昧。。)、チベットは茶色の国(ゴツゴツの岩山で男性的)、モンゴルはみどりの国(女性的、山が乳房のよう)という違いがあるんだそうな。


booksign.jpgまた、「美しさと知性は、イコールではないかも。美しさって何だろう?」と考えさせられた、というお話にも、ゾクッときました。椎名さん、(文盲なのに)ドキリ!とする美人を、奥アマゾンでみつけたときに、そう感じたのだそうです。

さらに、「"C"のつく国には美人が多い」とも(コロンビアだとか、キューバだとか)……と、そこで、すかさず Chieko Chiba の名刺を差し出す私(イニシャルは"C.C")。ますます、ファンになりました♪
**私ったらミーハーにも、ご著書にサインをせがんでしまいました。。


■ジャズクラブ All of Me Club
港区赤坂9-6-26フォンテ六本木203 
電話03-3403-1947
**元防衛庁から乃木坂寄り、外苑東通り沿い
1Fはファミリーマートです
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2006年10月03日

【旅行作家】になるために vol.4

国際経済専攻の田中拓男ゼミ(経済学部)に在籍する一方で、大学時代の4年間を通してテニスサークルに所属。冬はスキー、ときにはゴルフと、ご他聞にもれず大学生活を満喫した私。時代は女子大生ブームなだけに、就職を考える以前は、学業そっちのけで、我が世の春を謳歌しました。
**テニス合宿(千葉県房総)で、皆あどけない表情。。

ブレインワークス 003.jpg


とりわけスキーには真剣に取り組み、就職が決まってからの雪山シーズンには、大学OBが経営する菅平のペンションに、2ヵ月近く居候(いそうろう)をしたほど。苗場をはじめ、プリンスホテル系のスキー場を踏破する(北海道のニセコ東山へも飛ぶ!)など、ホイチョイ・プロダクションを地でいく格好でした。


時代はバブル期を迎え、学生の売り手市場といわれた1987年。ところが、思わぬ転がり方で、銀行員へのパスポートを手にすることになります。

米国流通業界を卒論テーマとした私は、当初、百貨店への就職を志望していました。国内の百貨店研究をしていくなかで、岡田事件に揺れる(アルバイト先の)三越ではなく、強い集客力を誇る伊勢丹に惹かれます。早くから、男女同一賃金を掲げてきた伊勢丹を第一志望にすえ、わずか1名枠の白門(OB)会推薦をとりつけるに至りました。
**田中拓男ゼミ卒業謝恩会でのひとコマ。。教授(中央)の右側が私です。

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そもそも伊勢丹には、同大学から毎年男女各1名程度しか採用枠がありません。内定を得るためには、新宿・伊勢丹のリクルーターのもとへ日参し、白門会推薦(OB推薦のこと)をとりつける必要がありました。体育会系の人材を好む企業柄。日参することで、売り場すべてを熟知し、本試験に臨みました。


ところが、本試験では、同じ経済学部に在籍するマレーシア人留学生が、推薦なしで内定を獲得。私は、あえなく不採用となりました。折りしも伊勢丹が、その翌年、クアラルンプールに出店する計画があったのです。(彼女は開設準備の要員として、入社後すぐに、現地へと赴きました。)

日参した先の伊勢丹リクルーターOBは、この意外な展開に、落胆と驚きの表情を隠せないでいました。そして、踵(きびす)をかえして「(同大学の)就職部へ、すぐ行くように」と言うのです。冗談のような話ですが、私を担当したリクルーターOBの、実のお父上が、中央大の時の就職部長だったのでした。

人生には、いくつかの奇遇があります。
くだんの就職部長は、採用試験がこれから始まる大手都市銀行のなかでも、他行に先駆け、男女雇用機会均等法準拠の大卒女子専門職を大量採用すると発表した富士銀行を志望するよう、私に勧めました。「就職部推薦を出します」と一言、私の目の前で、すぐさま筆をとったのです。




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2006年09月21日

【旅行作家】になるために vol.3

親友のお父様が三越の外商部部長だったご縁で、大学時代の四年間は、毎週土・日を、三越・アルタ事業部(新宿)でアルバイト。
(この頃は、TV番組「笑っていいとも」草創期で、羽賀研二さんが初代“いいとも青年隊”として人気を博していたとき。荒天で、スタジオがガラ空きの日などは、時々サクラをしたものです。。)

私の担当は、地方から訪れるお客様向けに、アルタ ALTA 特製のグッズ(バッチやTシャツ!)商品を販売する看板娘役。接客の面白さを知ったのは、このときでした。

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ときは1986年、大学3年の秋。三越社員向けの米国流通業界視察研修旅行に参加したことにより、私の職業観に、大きな変化が現れます。(要は、キャリアウーマンを目指す決意が、固まった!)

このツアーは、三越の在外店舗はもちろん、大型SCや全米で人気の専門店を視察するテクニカル・ビジット。東部ボストンから、ニューヨーク、そして西部ロサンジェルス経由、ホノルルと、米国周遊の旅でした。
**LAでのフリータイム時には、かつてのホストファミリーとも再会!私が以前使用した、ゲスト用のお部屋もそのままに。。


その当時、全米で人気が高まりつつあった【バナナ・リ・パブリック】や【シャーパー・イメージ】、【ザ・コンプリート・キッチン】など、どれもが新鮮な品揃え&ディスプレイ♪という新進気鋭の専門店に、(当時の)若い感性は刺激されっぱなし。。
また、三越が長らく独占契約をしていたティファニーのNY本店では、商品レクチャーを受ける機会にも恵まれました。

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ところで、昨年上梓した『悠々ロングステイガイド台湾』(千葉千枝子著/定価980円)や、ちばテレビで放映されたロングステイ特番に取材協力いただいた、台北の【新光三越】は、その当時お世話になった三越社員の方がご赴任された先。撮影等でも、格別なご配慮を戴きました。
ひとの「縁」とは、本当に、不思議なものです。

さて、将来の職業選択を意識し始めたその頃の私は、【国際経済】専攻の田中拓男ゼミ(経済学部)に所属。ゼミ仲間と共に、おもにアジア域内を視察旅行するようになります。
**同じく86年、ゼミ仲間と視察に訪ねた台湾(画像上)は、まだ戒厳令がしかれていた頃。英語を喋るひとは少なく、切符を買うのも筆談だった。下の画像は、まだ英国租借地時代の香港。低空飛行での啓徳空港、ビクトリアピークからの百万ドルの夜景が印象的だった。

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【旅行作家】になるために vol.1
【旅行作家】になるために vol.2
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2006年09月18日

【旅行作家】になるために vol.2

旅の虜(とりこ)になったのは、大学時代のこと。。あの頃の経験が、社会に出てのち、仕事の現場で役立つことに。振り返るに、現在(いま)に通ずる一本の道の、あれが原点だったのかもしれません。

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初めての海外生活、初めてのアメリカ……、見ること聞くことの全てが新鮮な日々。カリフォルニア州オレンジ郡でホームステイを経験したのは、1985年。スヌーピーのキャラクターで知られるナッツベリーファームにほど近いブエナパークでの滞在は、その後の私の人生に多大な影響を及ぼしました。

当時の仲間とは、その後も何かあるたびに再会。互いの近況を報告しあっています。
人生の縁とは不思議なもので、そのグループには偶然、アメリカで初対面となった私の“はとこ”、麻里も参加。(彼女は当時、成蹊大の4年。体育会女子スキー部に所属し、そのころから渋谷のマンションを自宅に、セダンを乗り回す暮らしぶり!)今では、キャリア官僚の奥様として海外赴任も経験。彼女のお父上にも、日頃からよくして戴いています。

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また、『ハリウッド女優になったOL奮闘記』等の著書がある佐恵美との出会いも、このときでした。ここ数年、トヨタ・プレミオのCM出演で来日するなど、相変わらずの活躍ぶり。青山短大2年だった彼女は、私より一足早く社会人となり、三井不動産在職中、渡米を決意。(そういえば、私が就職活動をした年、学生向けに配布された企業案内の表紙を飾ってました、彼女。。)佐恵美はその後、あの思い出の地に舞い戻り、演劇の道へと進みます。

ホームステイの翌年、私が大学3年のこと。バイト先の三越さんで、社員向け米国流通業界視察研修旅行に学生唯一、参加することが決まり、全米の専門店やSCを視察。LAでは、ホストファミリーらと再会を果たします。
結局は叶いませんでしたが、本格渡米を真剣に考え始めたころでした。

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■旅行作家になるために vol.1は、こちら
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2006年09月12日

【旅行作家】になるために vol.1

起業から早や10年。40代を目前に、【旅行作家】として旅の世界に舞い戻る決意をしてから、4年近い月日が流れました。
近ごろは、作家志願者が多いと聞きますが、出版不況といわれるなか、ウェブ上で、自らの思いや体験を綴るひとも増えています。
「【旅行作家】になるために」と題して、シリーズで、我が半生を振り返ります♪


日本交通公社(現JTB)の社員として旅行業に従事した90年代初めは、団体旅行全盛期でした。
前職の銀行業界では、既にバブル崩壊が囁かれ、融資の焦げ付きもみえ始めていたころです。ところが、旅行業界への波及は、そうした最前線の経済情勢とは多少ずれる傾向がありました。

昨今の、個人手配旅行主流の時代とは異なり、(とりわけ、法人が対象となる団体旅行の場合)手配の関係上、決定時期は半年ないし、それ以前となります。そのため、経済情勢に、すぐに連動しないのが特長でした。

1989年から、新聞紙上で大々的に中途採用を募集しはじめたJTBでは、その翌年、女子だけを対象に募集を開始。100倍という倍率で、合格通知を手にしました。

近年、団体で一括の職場旅行が姿を消し、大企業の多くは、社員の自主性にまかせる方面別選択方式の旅行形態にシフトしています。
私が在職した、かつての【団体旅行東京中央支店】も、現在では【JTB法人東京】と名称を変更。組織は再編され、取扱いも、高度な知識やテクニックを要するものが主体となっています。

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**画像は、奈良の長谷寺(はせでら)で、添乗員時代。

当時は、私たち営業マンが、営業した先の企業様のご旅行を企画立案し、添乗して、精算もする。という、一連の横割り仕事でしたが、この頃では、人件費削減の折り、社員ではなく派遣添乗員が添乗する縦割り方式に業務も変化しています。

特に、職場旅行はお手のもので、お客様を楽しませ、共に楽しんでしまう系の添乗員でしたから、我が天職!と実感したもの。日々、充実していました。とはいえ、添乗は身体が資本、体力勝負の仕事でもありました。



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**インドネシア・バリ島へは、まだ日本人旅行者が少ないときに得意とした。

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**西オーストラリア・パースへ、支店長たちの補佐役で。

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**カナディアン・ロッキーに。当時は信用金庫の役員方がお客様でした。



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2006年06月04日

鈴木一吉氏「執筆生活25周年記念会」@ホテル・メトロポリタン・エドモント

party0603.jpg日本旅行作家協会所属の【鈴木一吉】氏が、執筆生活25周年を記念して、飯田橋のホテル・メトロポリタン・エドモントにて祝賀パーティーを開きました。

鈴木一吉氏は、LOOKのベテラン添乗員としてもご活躍で、同窓のよしみで可愛がって戴いている大先輩。


kazuyoshishi.jpgこの佳き日にお集まりの方々は、旅行業界で名の知れたひとばかり。皆さんに祝福され、感極まる場面もありましたが、特に印象的だったのは、奥様に感謝の花束をお渡しになるシーンでした。
永きに渡り支えてくれた奥様は、自らを出来の悪い妻だからこそ(夫が)こうなれた、と糟糠の妻らしくご挨拶。素敵なやさしい伴侶の言葉に、鈴木氏ご自身も感涙されておりました。
とても幸せそうに、我々の目に映ったのは、間違いありません。


yamazakiminakoshi.jpg先般、事情があってご一緒できませんでしたが、スペイン旅行にご随行されたジェイエッチシー JHC 代表取締役社長・松川章氏や、オーランド観光局・山崎美奈子氏らが、お祝いのスピーチを述べられました。主役の鈴木氏も、とてもうれしそうでした。
多くの方に支えられての節目の会は、たいへん感動的なものでした。


matsukawashi.jpgこうした素晴らしいお仲間に恵まれたのも、鈴木氏のご人徳と思います。25年間を執筆するというのは、並大抵のことではありません。(私など、わずか3年で、かなりシンドイ)
ご自分の旅先での土産を抽選会のプレゼントにされるなど心配りも十分、和やかな会でした。
(私は、中国茶が当たったの!)



■ホテルクーポンシステムのJHCは、http://www.jhchotel.com/
■JHCが主宰する「アジアのゴルフ情報&予約サイト」は、http://www.mfw-asiagolf.com
■オーランド観光局公式サイトは、www.int-acc.or.jp/orlando/

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2006年05月29日

日本旅行作家協会

jtwo06.jpg赤坂プリンスホテルで開催された、日本旅行作家協会JTWOの総会ならびに例会に出席しました。

国際文化交流を目的に、会員数約300弱の旅行作家で組織するこの協会は、会長に斉藤茂太さん、副会長に兼高かおるさん、役員には下重暁子さんや椎名誠さんなど、著名な方々が名を連ねる、旅のスペシャリスト集団です。

毎年9月下旬に開催される世界旅行博(通称JATA博)では、ツアー・オブ・ザ・イヤー事業を。また、阪神電鉄との共同事業などを展開しています。


mrsaitoh.jpg斉藤茂吉氏のご子息で、ドクトル・マンボウ北杜夫氏の長兄でもある斉藤茂太会長も、ご高齢にもかかわらず、例会には奥様ご同伴で欠かさずご出席。やさしい物腰と、ユニークなスピーチで、会場をいつも沸かせています。

この日も、奥様とご臨席された斉藤会長。山形・上山温泉の老舗旅館【古窯(こよう)】は、斉藤一家御用達のお宿。古窯さんの話題で、ご挨拶を交わしました。


jtwosan.jpgこちらの写真は、商船三井客船の日野社長(写真右)とカナダ専門の旅行会社カナディアン・ネットワーク林氏(写真左)で記念に一枚。
昨年乗船した、にっぽん丸クルーズでの様子が、『わたしのクルーズスタイル』(イカロス出版)から発売されたばかり。一部寄稿、写真提供をしておりますので、ぜひお手にとってみてください。


さて、香港政府観光局の加納局長が音頭をとり、ANTOR−JAPAN(在外外国観光局協議会)のPRの場がありましたので、内容をお知らせします。

ANTOR-JAPANでは、日本からの海外旅行者を増やす施策として、【Let's go 海外!】というキャンペーンを実施。
来たる7月2日(日)10時〜17時
東京駅徒歩1分、「TOKIA(トキア)ビル」(=東京ビルディング)1階ガレリアにおいて、Let`s go 海外のプロモーションを行います。
後援は国土交通省、協賛はJATAならびに三菱地所です。
航空券や宿泊券の抽選会もあるそうです。ご興味がある方は、ぜひ足を運んでみてはいかがでしょう。


■日本旅行作家協会JTWOは、http://www.jtwo.net/
■世界旅行博(通称JATA博)は、http://jata-wtf.com/
■にっぽん丸公式ホームページは、http://www.mopas.co.jp/


ラベル:旅行作家
posted by 千葉千枝子 at 23:00| 東京 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅行作家・観光ジャーナリスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする